1956-03-02 第24回国会 衆議院 本会議 第17号
もし戰力の保持を必要とするなら、すべからく国民投票に訴えて憲法を改正してから初めて許さるべきでありまして、(拍手)政府の便宜によって憲法の条章を無視または曲解するがごとき悪例を残すならば、後世いかにりつぱな憲法や法律が制定されましても、それは時の権力者にとつては一顧だに値しない存在であり、これこそ、まさに、民主政治を破壊して独裁政治を迎えるものであると考えます。
もし戰力の保持を必要とするなら、すべからく国民投票に訴えて憲法を改正してから初めて許さるべきでありまして、(拍手)政府の便宜によって憲法の条章を無視または曲解するがごとき悪例を残すならば、後世いかにりつぱな憲法や法律が制定されましても、それは時の権力者にとつては一顧だに値しない存在であり、これこそ、まさに、民主政治を破壊して独裁政治を迎えるものであると考えます。
こういうりつぱな憲法の前文があるのであります。
国民の中には何人かりつぱな憲法だ、いい憲法をアメリカはつくつてくれたと言つて喜ぶ人もありましようけれども、私は全体とは申し上げません、大部分はこの憲法には納得の行かぬ点があろう、もちろん日本を根こそぎに片づけようと思つてつくつた憲法でありますから、日本を殺そうとしてつくつた憲法だから、なかなかこれは嘉うくつな憲法ということはわかつておる。
悪いと思つてかえる人はおそらくありますまい、よいと思うから国会が多数でもつてこれを通すのである、これは見解の相違で、よろしゆうございますが、これはりつぱな憲法だ、アメリカがつくつたけれども非常によいということなら別です。アメリカが当時日本を骨抜きにして、安全保障条約によつて当分の間守つてやろうということであの憲法を押しつけたと私は思うのです。
当時の憲法改正特別委員会の委員長である芦田均氏はその新憲法の成立過程について、本会議におきまして、かかるりつぱな憲法を与えられたことは、天地神明の加護によるものだと言つて感謝しております。かような芦田氏が、何がゆえにこの憲法をマッカーサー憲法と称し、これの改正に乗り出しておるのであるか。また当時の吉田総理大臣でも同じことであります。この憲法を受入れて、当時決してマッカーサー憲法なんて言わなかつた。
鈴木教授は、占領治下にできた憲法もりつぱな憲法である、憲法としての効力にごうも影響はないという御意見のようでありますが、GHQの重圧のもとにできた憲法、あるいは法律というものは、ある意味においてポツダム宣言のもとにできた政令に似た性格を持つたものでありまして、民主主義の国民の総意に基いて法律をつくり、憲法をつくる国柄においては、はたしてそういうものがフルな効力を持つておるやいなや。
この共産党並びに共産党を謳歌するものの論戦が非常に盛んになつておる際に、吉田総理大臣は自衛力を強化するのだかしないのだか、いつやるのだか、そういうあいまいな態度をとつて来ておるし、これについては憲法の改正というものがやがて行わるべき、その立場におるにかかわらず、なお憲法を改正しない、憲法を改正する必要はない、りつぱな憲法だとおつしやつて、反対論が強ければ強いだけそれを裏書きするような政府の態度に対して
たとえば日本の現在の憲法にいたしましても、戦争放棄の規定を入れられましたが、これは日本の民主化のために役立つりつぱな憲法であり、また労働組合法のごときも、戦前になかつたものが、今日では団結権、罷業権、団体交渉権というような、労働者に対しまするところの基本的な人権が確保せられたのであります。
しからば、これをどう改正するかということは、日本が独立してわずかに一年に足らざる今日において、日本憲法をこう改正する、ああ改正するということは、軽々しく決定すべきものではないので、八千万の国民が静かに日本百年の将来から考えてみて、りつぱな憲法をつくり上げる。そのためには、よほど慎重に考慮をいたすべきものであつて、一時の感情、一時の議論によつて支配さるべき問題ではないと考えます。
どんなりつぱな憲法があつても、今総裁のおつしやつた通りに、これをりつぱに運営をいたさなければ、その憲法の成果というものは発揮できないことはごもつともであります。こういう点からいろいろな法律案が出て來るのだろうと思われますが、この法案によりますと滯納処分、財産差押えに対して、都道府縣、市町村の吏員が、この法規によつてやられることになりわけです。これは國税の徴收の面においても遺憾な事実が散見できる。
かようなことをいたしますれば、いかにりつぱな憲法がありましても、決しで民主政治は行われるものではありません。 片山君は、先刻來民主政治のことを、言葉をきわめてお説きになりました。片山君のおつしやることも、一つの議論でありましよう。また私どもの考えることも、一つの説としてお聞きになるべき義務と責任とのあることを御理解なさるべきであります。
從つていかにりつぱな憲法ができ上つても、これを運用していく重大な附属法である刑事訴訟法が実施されなければ、結局憲法の要求しておる点を満たすことができないと考える。その意味におきまして、私は憲法の精神に副つた改正案のような刑事訴訟法が、一日も早く実施されることが、憲法の要請しておるところではないかと考えるのであります。
こういうりつぱな憲法のもとにおいて、新たにつくられますこの恒久的な法律において、國民の相當の部分を占めますものに對して、こういう形においてこれを排除するということは私は適當ではないと考えます。もちろんこれはマツカーサー元帥の希望というか指示によりまして、その必要があるするならば、何か他の方法があると思う。
部下に任せて、部下がいいようにするというのは空位空權を擁する君主のやることでありまして、總理大臣がかようなことをなされましたならば、これはりつぱな憲法違反です。安本の捜査臨檢が憲法三十五條の違反であるというぐらいの騒ぎじやないのであります。